サクラとヒロ、入籍した話【第47話】

第47話アイキャッチ:サクラとヒロ、入籍した ストーリー

※この話はシリーズ本編のストーリーを中心に構成しています。登場する人物・団体・会社名等は創作上のものです。実在の人物・団体とは関係ありません。

■ 証人欄

十月の初め、サクラとヒロが二人揃って事務所に来た。手には一枚の用紙。婚姻届だった。

「あの、折り入ってお願いがありまして」

ヒロが差し出した用紙には、まだ空欄が二つ残っていた。証人欄だった。

「証人、コーキさんとケイイチロウさんに、お願いできませんか」

「俺たちでいいのか。親族に頼むものじゃないのか」

「親族に頼まなければならない決まりはないんです。18歳以上なら、友人でも大丈夫って調べました」とサクラ。「それに……ここが、私たちにとって、一番『始まりの場所』だから」

奥から出てきたケイイチロウが、黙って用紙を受け取った。ペン立てから万年筆を選び、ゆっくりと証人欄に名前を書いていく。

「光栄だ」

短く、それだけ言った。

証人を依頼するサクラとヒロ

■ 十月九日

婚姻届の提出日は、10月9日に決まった。二人の仕事と、その後の名義変更手続きの日程から逆算した結果らしい。

「大安とか、そういうのにはこだわらなかったのか」ヒロに聞くと、彼は首を振った。

「調べたら、いい日は選びたい派と、こだわらない派、半々くらいで。僕らは、無理に日取りに縛られるより、準備が整った日を選ぼうって決めました」

「前に婚姻届の相談に来たときのリストのおかげです」サクラが付け加えた。「あのとき作った手続きリストで、提出後に回る窓口と必要書類を全部整理できました。銀行も、免許証も、マイナンバーカードも、いつ何をするか決めています。」

「サクラの名字は、結局どうすることにしたんだ」

「はい。二人で話して、私がヒロくんの名字を名乗ることにしました」

区役所の窓口に用紙を出す二人の姿を、俺は少し離れたところから見ていた。特別なセレモニーがあるわけでもない。休日の受付窓口で、職員が淡々と用紙を受け取り、記載内容を確認していく。それだけの、驚くほど地味な手続きだった。

だが、ヒロの手が、少しだけ震えていた。

区役所の窓口に婚姻届を提出する二人

■ 紙一枚の続き

「終わった……」

区役所を出たところで、ヒロが小さく呟いた。

「拍子抜けするくらい、あっさりでした」とサクラ。「でも、なんでだろう。紙を出しただけなのに、世界が変わった気がします」

「前に来たとき、言ってたな。『紙一枚の後ろに、たくさんの次の紙が並んでる』って」

「はい。でも、その『次の紙』を一枚ずつ片付けてきたから、今日、こんなに落ち着いて出せたんだと思います」

サクラが、少し照れくさそうに言った。

「実感、これから少しずつ来るのかもしれないです。免許証の名前が変わったときとか、新しい名字で初めて呼ばれるときとか」

区役所を出て感慨にふけるヒロとサクラ

■ 事務所への報告

二人は、その足で事務所に戻ってきた。ルリが、いつものように棚から降りてきて、サクラの足元にすり寄った。

「なんかルリ、今日はやけに愛想いいな」

「わかるんだよきっと、特別な日だって」

俺は冷蔵庫からジュースを出し、グラスに四人分注いだ。乾杯というほど大袈裟なものではない、ささやかな一杯だった。

「思えば、お前ら二人が最初に来たときは、別々だったな。サクラは『大丈夫です』しか言えなかったし、ヒロは100項目のリストを抱えてた」

「よく覚えてますね」とヒロ。

「忘れるわけがない。あれから、何回ここに来た?」

二人は顔を見合わせ、笑った。

「数えてないです。でも、たぶん、事務所の一番のお得意様だと思います」

「そういえば、式はどうするんだ」

俺はグラスを置いて聞いた。二人は顔を見合わせた。

「散々悩んだんですけど……フォトウェディングにしようと思います」とヒロ。「挙式も披露宴もなしで、写真だけ、きちんと残す感じで」

「あの380万円の見積もり、忘れられなくて」サクラが苦笑した。「大きな会場も、ドレスも、もちろん憧れはあったんです。でも、私たちが本当に欲しかったのは、豪華な一日じゃなくて、ちゃんと形に残る記録だったんだなって」

「披露宴がない分、親族への紹介はどうするんだ」

「そこは別で考えてます」とヒロ。「両家の顔合わせ食事会を、近いうちに。結納みたいに堅苦しくなく、身内だけでご飯を食べる感じで」

「予算も、写真代と食事会だけなら、二人で貯めた自己負担額の中で十分収まりそうで」

俺は、少しだけ頷いた。

「震えていた数字が、ちゃんと二人サイズに収まったわけだ」

「はい」とサクラ。「あのとき教えてもらった『分解して考える』が、ここでも効きました」

事務所でジュースを乾杯する四人

■ ケイイチロウの言葉

帰り際、ケイイチロウが二人を呼び止めた。

「一つだけ言っておく」

二人が振り返る。

「夫婦とは、答えを揃えることではない。問いを、一緒に持ち続けることだ。今日出した紙は、その始まりの合図に過ぎない。」

サクラが、少し目を潤ませた。ヒロが、その肩にそっと手を置いた。

「ありがとうございます、所長」

「祝いの言葉は柄じゃない。だが——おめでとう」

珍しく、ケイイチロウの口元が緩んでいた。

ケイイチロウが夫婦について語るシーン

■ エピローグ:これから

二人が帰ったあと、事務所には静かな時間が流れていた。

窓の外は、十月の澄んだ夕方だった。

(我慢することしか知らなかった依頼人と、考えすぎて動けなかった依頼人が、今日、それぞれの言葉で「これから」を選び取った。……この仕事、たまにこういう報酬がある)

俺は、二人の依頼票のファイルを閉じた。一番古い記録の日付が、やけに懐かしかった。

静かな夕方の事務所

この話は、実用解説よりもシリーズ本編のストーリーを中心にした回です。サクラとヒロの、第37話から続く結婚準備シリーズの区切りとなる回です。

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