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※物語パートに登場する人物・団体・会社名は創作上のものです。実在の人物・団体とは関係ありません。
■ オープニング
八月の中旬。サクラが手帳を持ってやってきた。
「コーキさんが先月、記録しておけって言ったので」
開いたページには、日付と時刻が几帳面な文字で並んでいた。退勤時刻と、週末にLINEが来た日時の記録だ。
「で、先月の給与明細と照らし合わせてみたら……」
サクラはもう一枚の紙を取り出した。
「残業代、ほとんど出てないことに気づいて」

■ 問題提示
記録によると、先月の残業は合計で38時間だった。
「でも給与明細の残業代の欄が、ゼロなんです」
「会社に確認したか」
「……しました。そしたら、『申請した残業しか払えない』って言われて」
「申請していなかったのか」
「申請の方法を、誰も教えてくれなかったんです。入社のときに説明がなくて。残業した日は先輩に言ったら大丈夫って言われたので、てっきり自動的に計算されるものだと思ってて」
コーキは給与明細と手帳を並べて見た。
「他の人は申請してるのか」
「……してる人もいるみたいです。でも空気的に、残業代を申請するのって、なんか言いにくくて」
サクラは少し間を置いた。
「これって、おかしいですよね」
「おかしい」

■ コーキの分析:残業代が「消える」3つのパターン
「ただ、パターンが3つある。どれに当てはまるかで対応が変わる」
コーキはメモ帳を開いた。
⚠️ 理由① 「申請制」の運用と「払う義務」が混同されている
残業代は「申請した分しか払わない」という運用をしている会社もある。しかし法律上は、会社が残業を「命じた」あるいは「黙認していた」場合には、申請の有無に関わらず割増賃金の支払い義務が生じる場合がある。
「申請しなかったから払わない」は、必ずしも法的に正当な理由にならない。上司の指示や黙認のもとで遅くまで働いていた事実があれば、申請書類がなくても残業の証拠となり、割増賃金の支払い義務が生じる場合がある。
ただし、会社が残業を明確に禁止し、実際にも働かせないよう管理していたのに、労働者が指示に反して自主的に残った場合などは、判断が異なることがある。
なお、社内でいう「残業」と、法律上の時間外労働は同じとは限らない。法定労働時間(原則1日8時間・週40時間)を超えた部分には、原則として割増賃金が必要になる。所定労働時間を超えていても法定労働時間内であれば、通常の賃金の支払い対象となる。
⚠️ 理由② 「残業代を申請すると怒られる」という空気が機能している
「申請しにくい空気」は、職場によっては暗黙の抑制装置になっている。
新人が「残業代を請求する」ことへのためらいは、「評価が下がる」「先輩に迷惑をかける」という恐れから来ることが多い。しかし、実際に働いた時間に応じた賃金・割増賃金を受け取ることは労働者の権利であり、請求を理由に不利益な扱いをすることは違法となりうる。
⚠️ 理由③ 残業時間の記録がないと、請求や立証が難しくなる
未払いの残業代を後から請求するには、「いつ・何時間働いたか」の証拠が必要になる。
タイムカードや勤怠システムに記録がない会社では、勤怠記録・PCログ・メールやチャットの送受信時刻・業務日報・手書きのメモなどが証拠になりうる。記録がなければ、働いた事実を証明することが難しくなる。

■ ケイイチロウの一言
ちょうど通りがかったケイイチロウが、コーヒーを飲みながら言った。
「残業代の請求で、いちばんの味方になるのは記録だ。証拠は、あとから探すものじゃない。働いた日に残しておくものだ。」
サクラは手帳を見てから、その言葉を書き加えた。

■ 解決策:残業代を守る3ステップ
残業代が払われていない・少ないと感じたら、今からでもできることがある。
✅ ステップ① 自分の残業時間を証拠として記録する
今日から、以下を毎日記録しておく。
・勤怠記録・タイムカード・PCのログオン/ログオフ記録
・業務メール・チャットの送受信時刻(スクリーンショットで保存)
・業務日報・上司からの残業指示や「もう少し対応して」などのやりとり
・手書きのメモ(日付・時刻・業務内容)
会社の勤怠システムに記録がある場合は、毎月の記録をプリントアウトまたはスクリーンショットで保存しておくと安心だ。
※記録を保存する際、顧客情報・個人情報・営業秘密は必要以上に持ち出さず、勤務時間を示す範囲にとどめること。不安な場合は、持ち出す前に公的相談窓口や弁護士へ相談する。
また、給与に固定残業代が含まれている場合でも、何時間分が含まれているのか、その時間を超えた分が別途支払われているかを確認しておく必要がある(固定残業代の仕組みは第16話でも解説している)。
なお、22時から翌5時までの労働には、原則として25%以上の深夜割増賃金が必要になる。法定時間外労働と重なる場合は、それぞれの割増率を合算する。深夜まで残業していた場合は、この点も給与明細と照らし合わせておくとよい。
✅ ステップ② 会社の残業申請のルールを確認し、未申請分を遡って相談する
就業規則・雇用契約書・勤怠マニュアル・社内システムなどに、残業申請の方法が記載されていないか確認する。そのうえで、以下を試みる。
・未申請だった残業を遡って申請できないか、上司や人事に確認する
・「申請していなかった残業も、業務の指示や黙認の下で行ったもの」として整理して伝える
・会社の回答は口頭ではなくメールや書面で残す
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✅ ステップ③ 改善されなければ外部の相談窓口に相談する
会社内での解決が難しい場合は、外部に相談できる。
・厚生労働省 総合労働相談コーナー(無料・都道府県労働局内)
・労働基準監督署(残業代の未払いは労働基準法違反となりうる)
・確かめよう労働条件(厚生労働省)(残業代のルールを確認したい場合)
なお、未払い残業代の請求には時効がある(原則として賃金支払日から3年)。不安な場合は早めに相談することが重要だ。

🐱 ルリのまとめ
「申請していない残業ほど、あとから見えにくくなる。だから記録が命だ」
- 会社が「申請した分しか払わない」と言っても、業務指示や黙認のもとで働いた残業には払う義務が生じる場合がある
- 残業代を請求するには証拠が必要——出退勤記録・メール・チャット履歴を今日から記録する
- 社内で解決しない場合は労働基準監督署・総合労働相談コーナーに相談できる——時効(原則3年)に注意
■ コーキの締め
サクラが帰り際、手帳をバッグに入れながら言った。
「記録して、よかったです」
「そうだな」
「……あと、なんか、ちょっとだけ怖くなくなった気がします。こういうこと」
コーキは少し間を置いた。
「怖くなくなったんじゃない。知ったんだ」
サクラはその言葉を聞いて、少しだけ笑った。
今日のサクラは、初めてここに来たときとは、少し違う顔をしていた。
(「大丈夫です」が口癖だった人間が、少しずつ自分の言葉で動き始めている)

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