※この話はシリーズ本編のストーリーを中心に構成しています。登場する人物・団体・会社名・地名等は創作上のもので、実在の人物・団体とは関係ありません。
■ 納品物
十月の半ば。夕方の事務所に、ケンタがノートパソコンを抱えてやってきた。
「ういーす。頼まれてた紹介動画、できたよ」
事務所の紹介動画。ケイイチロウが「そろそろうちも」と珍しく言い出して、フリーランスで動画編集をやっているケンタに頼んだのだった。
「おう。見せてくれ」

動画は、思っていたよりずっと良かった。事務所の窓から差し込む光、棚の上のルリ、依頼人を迎えるソファ。ケンタの撮る映像は、理屈じゃなく空気を掴む。大学の映像サークルで「雰囲気で撮るタイプ」だったというのは、伊達じゃないらしい。
「いいじゃないか。これ」
「っしょ?まあ、俺くらいになるとね」
軽口を叩きながら、ケンタは窓際に寄った。
そして、そのまま固まった。

■ 窓の外
俺はケンタの視線の先を追った。
夕暮れの商店街。街灯が点き始めた通りを、サクラとヒロが並んで歩いていた。
家電量販店の袋を提げたヒロが、何か説明している。たぶん、また比較表の話だ。サクラが吹き出して、ヒロが心外そうな顔をして、それを見てサクラがもっと笑う。
ただ、それだけの光景だった。
付き合っているわけでもない。手をつないでいるわけでもない。ただの、買い物帰りの二人。
でも。
「……あー」
ケンタが、小さく声を漏らした。
「そっかー。……そっかあ」
それは、質問でも驚きでもなかった。ずっと目を逸らしてきた答え合わせを、いま終えた人間の声だった。

■ まあいっか、の行き先
ケンタはしばらく窓の外を見ていた。二人の姿が角を曲がって見えなくなっても、まだ見ていた。
「コーキさ」
「ん」
「俺、サクラのこと、いいなって思ってたんだよね。たぶん、サークルの頃から」
知ってた——とは言わなかった。代わりに俺は、冷蔵庫から缶コーヒーを2本出して、1本をケンタに放った。
「言わなかったのか」
「言うほどじゃないっしょ、って思ってた。ほら、俺、フリーランスなりたてで金もねえし、まずは仕事っしょ、とか。あとでいいか、って」
ケンタは缶を開けて、一口飲んだ。
「『あとでやろうと思ってた』って、俺の口癖じゃん?」
「らしいな」
「あれさ、宿題とか確定申告なら、あとからでも間に合うんだよ。怒られるけど、間に合う。……でも、こういうのは間に合わないんだな。あとって言ってる間に、終わってた」
俺は何も言わなかった。こういうとき、探偵にできることは何もない。推理も、分析も、解決策も、この件には出番がない。
ただ隣にいて、コーヒーを飲むだけだ。

■ 「まあいっか」と言わなかった夜
長い沈黙のあと、ケンタが口を開いた。
「まあいっか……って、言おうとしたんだけどさ。今」
「ああ」
「言えなかったわ。……悔しいんだな、俺。ちゃんと」
ケンタは笑っていた。でも、目は笑っていなかった。それでいいと思った。
奥の机で、ずっと黙って書類を読んでいたケイイチロウが、静かに言った。
「負けを認められた人間だけが、次の場所へ歩き出せる。『まあいっか』で流した負けは、いつまでも足元に残るぞ。」
「……ケイイチロウさん、今日もズバッと刺してくるなあ」
ケンタは、缶コーヒーを飲み干して立ち上がった。
「よし。俺、決めたわ」
「何をだ」
「ちゃんと悔しがる。今夜は帰ってしょんぼりする。とことんしょんぼりする。……で、明日から、次いくわ」

■ エピローグ
帰り際、ケンタは玄関で振り返った。
「あのさ、二人には言うなよ?今日の」
「探偵は口が堅い」
「ん。……あと、あの二人さ」
ケンタは少しだけ黙って、それから、ちゃんと言葉にした。
「お似合いだと思うわ。ほんとに」
ドアが閉まった。
棚の上のルリが起き上がって、ドアのほうをじっと見ていた。まるで、いま出ていった男の背中を見送るように。
「……お前もそう思うか」
ルリは答えず、あくびをした。

窓の外はもう暗い。この事務所には、金の相談も、仕事の相談も、契約の相談も持ち込まれる。でも、今日のあれは違う。あれは相談ですらない。ただ、人が一つ大人になる瞬間に、たまたま居合わせただけだ。
「前夜」というのは、たぶん、ああいう夜のことも言うんだろう。
何かが終わって、まだ次が始まっていない夜。
でも、次は始まる。あいつの場合は、たぶんすぐだ。なにせ切り替えの早さだけは、昔から天下一品だからな。
この話は、実用解説よりもシリーズ本編のストーリーを中心にした回です。ケンタの「まあいっか」がテーマだった第1話からの成長と、次の話への橋渡しになっています。
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