※この話はシリーズ本編のストーリーを中心に構成しています。登場する人物・団体・会社名・学校名・地名等はすべて創作上のものです。実在の人物・団体・地域とは関係ありません。
■ 鍵のかかった箱
一月の終わり。夜の事務所に、ミサキは大きな紙袋を抱えてやってきた。
いつもの自撮り棒はない。カメラも回していない。ここ数ヶ月、依頼人として来るときのミサキは、YouTuberの顔を置いてくる。
「……見つけたの。実家の物置の、一番奥」
紙袋から出てきたのは、古い金属製の箱だった。小さな南京錠がかかっていたらしく、壊した跡がある。
「父の字で『資料』って書いてある。家族も存在を知らなかった。中身は——」
ミサキは、箱の蓋を開けた。
古い取材ノートが3冊。写真の束。そして、地図が1枚。
「父さんが追ってたものの、続きがあった」

■ 取材ノート
サトル。ミサキの父。ジャーナリスト。俺たちが高校一年だった秋に消息を絶った男。
ノートの日付は、失踪の2年ほど前から始まっていた。几帳面な細かい字が、後半になるにつれて乱れていく。
俺は、依頼を受けてから数ヶ月かけて集めた自分のメモと、ノートを突き合わせていった。サトルの当時の同僚への聞き込み。過去の記事の傾向。ハルカから預かった、彼女の父・アキラの手帳の内容——正確には、ハルカの頭の中に写真のように残っている、手帳の記憶。
一致する単語が、いくつも出てきた。
まず、こう書かれたページがあった。
『バロールは個人名ではない。役職名だ』
「……役職?」
隣からノートを覗き込んでいたミサキが、眉を寄せた。
「組織のトップの称号、みたいな意味だと思う。つまり——『バロール』と呼ばれる誰かが消えても、組織は消えない。次のバロールが立つだけだ」
そして、次のページ。ここからが、今夜の核心だった。
『組織は六つの部門に分かれている。内部では”眼”と呼ばれる。緑、灰、黒、赤、青——そして、星』
グリーン・アイ。グレイ・アイ。ブラック・アイ。レッド・アイ。ブルー・アイ。スター・アイズ。
ノートの余白に、サトルは六つの円を描いていた。円はゆるやかに重なり合い、中心にひとつの空白を作っている。その空白に、小さく「B」とだけ書かれていた。

■ 潜入者
3冊目のノートで、決定的なことがわかった。
サトルは、バロールを外から追っていたんじゃない。
中に、入っていた。
『協力者として接触に成功。末端の活動から参加する』——失踪の半年前の日付で、そう書かれていた。以降の記述は、暗号めいた短い単語ばかりになる。取材者としての慎重さか、あるいは、見られることを警戒したのか。
「潜入取材……」
ミサキの声が揺れた。
「じゃあ、父さんは。捕まって消されたんじゃなくて。自分から、中に」
「断定はできない。だが、少なくとも失踪の直前まで、サトルさんは自分の意志で動いてた。字が乱れている理由も決めつけられない。ただ、俺には、何かを急いで書き留めたようにも見える」
その「何か」は、ノートの最後のページに書かれていた。判読できる、最後の書き込み。
『「怪盗バロール」と名乗る何者かが現れた。組織の内部が揺れている。外の人間か、それとも——』
文は、そこで途切れている。
「怪盗……バロール?」
「称号のバロールとは、別の誰かだ。組織の名を勝手に使って、組織を引っかき回している存在——そう読める。現れた時期は、サトルさんが消えたのとほぼ同じ、俺たちが高校一年だった秋だ」
偶然にしては、できすぎている。サトルさんは、この「怪盗」の正体を追っていたのか。それとも——追われていたのか。
ミサキは、しばらくノートの字をじっと見つめていた。父親の字を、指でなぞるように。
「……うん。父さんの字だ。締め切り前になると、いっつもこんな字になるの」
笑おうとして、失敗していた。俺は見なかったことにした。

■ 地図
最後に、箱の底から出てきた地図を広げた。
古い都市計画図だった。ただ、おかしな点がひとつある。地名の欄が、刃物で丁寧に切り取られていた。どこの町の地図なのか、文字からは一切わからない。
「地名だけ、ない」ミサキが眉を寄せた。「お父さん、どうしてこんなこと……」
「場所を特定されないためかもしれないな。地図そのものは資料として手元に置きたい。だが、どこの町かだけは、知られるわけにいかなかった」
ある区画が、色鉛筆で丁寧に塗り分けられている。緑、灰、黒、赤、青。……六つ目の「星」だけが、どこにも塗られていない。
俺は、その塗り分けよりも先に、道の形を追っていた。
蛇行しながら町を二分する川。その北側の、ゆるやかな丘。丘の中腹にある学校らしき敷地。駅前から延びる商店街の、少しだけ折れ曲がった目抜き通り——。
心臓の音が、大きくなった。
この道を、俺は毎日歩いている。
「……ミサキ。この地図、地名は消されてるが」
俺は、丘の中腹の一点を指した。
「ここに学校がある。目抜き通りはここで折れて、駅はここだ。——東雲学院と、うちの事務所の場所だ」
ミサキが地図に顔を近づけた。数秒の沈黙のあと、息を呑む音がした。
「……うそ。ほんとだ。この通り、事務所の前の……」
ゆらぎ町だ。
地名を消しても、町の形までは消せない。これは、俺たちが今この瞬間に立っている、この町の古い地図だった。
「じゃあ、組織の六つの『眼』は……この町に、あるってこと……?」
「ああ。……少なくとも、この地図を作った人間は、そう考えてた」
遠くの謎を追いかけているつもりだった。だがその謎は、最初から足元にあった。
ミサキが、大きく目を見開いたまま、俺を見た。
そのまま、何か言いかけて——やめた。代わりに、まったく別のことを、ぽつりと言った。
「……ねえ。前に『東雲学院、同じだった』って言ったけど。私たち、それだけじゃなくて——もっと近くにいたこと、なかった?」
「は?」
「ううん。なんでもない。忘れて」
ミサキは首を振って、地図に視線を戻した。俺には、その横顔の意味がわからなかった。同じ高校だったことは、もう知っている。だが今の言い方は、まるでそれ以上の何かを——たとえば、同じ教室で机を並べていたことを、確かめるような響きだった。

■ 沈黙の作法
「ケイイチロウさん」
奥の机に、俺は声をかけた。今夜のケイイチロウは、一度もこちらに来ていない。ノートにも、地図にも、目を向けようとしない。それ自体が、もう答えのようなものだった。
「『バロール』を——称号のバロールと、六つの眼と、それから『怪盗バロール』を。あなたは、どこまで知ってるんですか」
湯呑みに伸びかけたケイイチロウの手が、一瞬だけ止まった。
ほんの一瞬だ。だが、俺はその一瞬を見逃さなかった。「怪盗」という言葉のところで、この人の時間が確かに止まった。
長い沈黙があった。
やがてケイイチロウは、書類から顔を上げずに、静かに言った。
「……そこまで、辿り着いたか」
「知ってるんですね」
「コーキ。ひとつだけ言っておく」
ケイイチロウは、初めてこちらを向いた。その目は、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
「お前たちが見つけた六つの眼は、輪郭だ。輪郭は、中身を保証しない。外から見た形と、中にあるものが、まるで違うことがある——それだけは、覚えておけ」
「どういう意味ですか」
「いずれわかる。今夜は、ここまでにしておけ」
「……怪盗バロールについては?」
「——それも、いずれだ」
いつもと同じ、静かな声だった。ただ、その返事だけ、ほんの少しだけ早かった。
それ以上は、何を聞いても答えなかった。この人の沈黙には作法がある。長い付き合いでわかっていた。これは「言えない」の沈黙じゃない。「まだ言えない」の沈黙だ。

■ エピローグ:輪郭
ミサキが帰ったあと、俺は一人で、ホワイトボードに今夜わかったことを書き出した。
・バロールは個人名ではなく、組織トップの「称号」
・組織は六つの部門——六つの「眼」を持つ
・サトルさんは外部の取材者ではなく、内部への潜入者だった
・サトルさんが最後に追っていたのは、称号とは別の——「怪盗バロール」を名乗る何者か
・サトルさんが地名を消してまで隠し持っていた地図は——この町、ゆらぎ町のものだった
・俺たちが暮らすゆらぎ町と、組織には接点がある
ハルカの父、アキラさんの手帳にあったという言葉を、最後に書き足した。
『組織は町を作っている』
町を、作っている。
破壊でも、支配でもなく、「作っている」。悪の組織の動詞にしては、ずいぶん奇妙だ。ケイイチロウの言葉が、頭の中で反響する。外から見た形と、中にあるものが、まるで違うことがある——。
棚の上で、ルリが起き上がった。ホワイトボードを見て、それから俺を見て、一声だけ鳴いた。
「……ああ。まだ、輪郭だけだ」
でも、輪郭が見えたということは、中心がどこにあるかも、いずれわかるということだ。
窓の外、冬の星が出ていた。
六つの眼のうち、最後のひとつは「星」。地図の上で、唯一塗られていなかった色。
その意味を知る夜は、たぶん、まだ先だ。

この話は、シリーズ本編の謎(バロール)が大きく動くストーリー回です。初めて読む方は、以下の話を先に読むと流れがつながります。
🔗 これまでのバロール関連回
- 📚 バロール編まとめ(全話の系譜を一気に確認)
- 第6話「最初の仕事の取り方がわからない話」——コーキとミサキが同じ高校だったことが判明
- 第12話「メンタルが限界になって動けなくなった話」——ミサキとケイイチロウの密談
- 第24話「二つの『父を探してほしい』」——ミサキとハルカの依頼・すべての始まり

