Amazonのアソシエイトとして、コーキの社会人前夜相談室は適格販売により収入を得ています。
※この話はシリーズ本編のストーリーを中心に構成しています。登場する人物・団体・会社名はすべて創作上のものです。
■ プロローグ:前夜
社会人になる前。
誰もが、何かが始まる直前の「前夜」にいる。
このブログは、そんな前夜にいる人たちの相談を受けてきた。お金のこと、仕事のこと、人間関係のこと。サクラも、ヒロも、ケンタも、それぞれの前夜を抜けて、少しずつ大人になっていった。
——けれど、最近になって俺は気づき始めていた。
「前夜」を抜けるのは、若い人だけじゃない。社会人になった後も、人は何度も、新しい何かの前夜に立つ。
そして今日、俺自身が、ある「前夜」の入口に立つことになる。

■ 第一の依頼人
九月の半ば。
その日、事務所のドアをノックしたのは、見慣れない少女だった。
肩くらいの黒髪が、毛先で少し外にはねている。大きな瞳。長めのグレーのカーディガンに、斜めがけのバッグ。高校生くらいに見える。
「あの、ここって、探偵事務所ですよね」
「そうだ」
「ハルカっていいます。16歳です。……依頼、していいですか」
俺がうなずくと、ハルカはソファに座り、まっすぐこちらを見た。明るく人懐っこい雰囲気なのに、その目の奥に、年齢に似合わない静けさがあった。
「お父さんを、探してほしいんです」
「いなくなったのか」
「2週間前から。仕事で家を空けることはよくあったんですけど、今回は連絡が全然つかなくて。スマホもつながらない。警察にも相談して、行方不明の届け出はしました。でも、今のところ事件として動いている感じじゃなくて」
ハルカは膝の上で手を組んだ。
「お父さん、元刑事なんです。今は個人で探偵みたいなことをしてて。アキラっていいます」
その名前を聞いて、奥にいたケイイチロウが、わずかに動きを止めたのが、視界の端に見えた。

■ 記憶の少女
「最後に会ったのは、いつだ」
「2週間前の朝。出かける前に、『しばらく帰れないかもしれない』って。それと——」
ハルカは少し言いよどんでから、続けた。
「『もし俺に何かあったら、ミルト探偵事務所を訪ねろ』って」
俺は思わずケイイチロウのほうを見た。ケイイチロウは何も言わなかったが、その表情がいつもより硬いことに、俺は気づいていた。
「お父さん、最近よく独り言を言ってたんです。『あの組織』とか『バロール』とか。私、意味はわからないけど、全部覚えてます」
「全部?」
「はい。私、見たものや聞いたものを、写真みたいに覚えちゃうんです。お父さんが書き残したメモも、全部頭の中にあります」
ハルカはこめかみを軽く指でさした。その仕草には、不思議な確信があった。
——この子の「記憶」は、何かの鍵になる。
探偵としての勘が、そう告げていた。
「正式な依頼にするなら、保護者や状況の確認が必要になる。だが、話は聞く」
俺がそう言うと、ハルカは少しだけほっとしたように、こくりとうなずいた。

■ 第二の依頼人
ハルカの話を聞き終え、俺が「引き受ける」と言いかけた、そのときだった。
ノックもなしに、事務所のドアが勢いよく開いた。
「ど〜も! 天才探偵ミサキちゃんですっ!」
派手な身なりの女が、自撮り棒を片手に飛び込んできた。ミサキ。探偵系YouTuberで、ときどき事務所に勝手に現れては騒いでいく、よくわからない相手だ。
ミサキのスマホ画面は暗く、撮影はしていないようだった。
「ミサキ。相談中だ。勝手に入るな」
コーキの声に、ミサキは一瞬だけ肩をすくめた。
「あれ、先客? ごめんごめん、出直し——」
そこまで言って、ミサキの動きが止まった。
ハルカの口から漏れた一言を、聞いてしまったからだ。
「……バロール」
ミサキの顔から、いつものへらへらした笑みが消えた。自撮り棒を下ろし、ゆっくりとハルカのほうを見る。
「今、なんて言った?」
「え、あの……お父さんが言ってた言葉で」
ミサキはしばらく、ハルカの顔をじっと見ていた。それから、静かに——いつもの彼女からは想像できないほど静かに、言った。
「私も、同じ依頼があるの」

■ 二つの「父を探してほしい」
ミサキはソファのもう一方に腰を下ろした。さっきまでの軽薄さは、どこにもなかった。
「私の父も、いなくなってる。もう、ずっと前から。ジャーナリストだった。サトルっていうの」
「いつからだ」
「私が高校生のとき。父は、ある組織を追ってた。その組織の名前が——」
「バロール」と、ハルカが小さく言った。
ミサキはうなずいた。
「私はずっと一人で調べてきた。YouTuberになったのも、影響力をつければ、いつか父の手がかりにたどり着けると思ったから。……でも、一人じゃ限界だった」
そして、ミサキは俺のほうをまっすぐ見た。いつもの「天才探偵ミサキちゃん」ではなく、一人の人間の目で。
「コーキ。正式に依頼する。私の父を——サトルを、探して」
事務所に、二人の依頼人がいた。
父を探す、二人の娘。
そして、その二人の父が追っていたもの、あるいは関わっていたものが、同じ名前を指していた。
バロール。
■ メンターの沈黙
俺はケイイチロウを見た。
この人は、何かを知っている。さっきから、明らかに様子がおかしい。「バロール」という言葉が出るたびに、空気が止まる。
「ケイイチロウさん」
「……」
「何か、知ってるんですか」
ケイイチロウは長いあいだ黙っていた。それから、いつものように静かに、けれどどこか遠くを見るように言った。
「コーキ。お前は、依頼を受けるか」
「受けます。二人とも」
「そうか」
ケイイチロウは、それ以上は何も言わなかった。ただ、窓の外に視線を移し、低い声でこう付け加えた。
「——だが、覚えておけ。この件に踏み込むということは、お前自身の『前夜』が始まるということだ。」
その言葉の意味を、このときの俺は、まだ理解していなかった。

■ エピローグ:始まりの夜
二人の依頼人が帰ったあと、事務所には俺とケイイチロウ、そして棚の上のルリだけが残った。
ハルカの父、アキラ。二週間前から姿を消した元刑事。
ミサキの父、サトル。高校時代から行方がわからないジャーナリスト。
どちらも、バロールを追っていた。
そして、それを知っているはずのケイイチロウは、何も語ろうとしない。
棚の上で、ルリが静かに目を開けて、俺を見ていた。まるで、「いよいよ始まったな」とでも言うように。
俺は窓の外を見た。
これまで、たくさんの「社会人前夜」の相談を受けてきた。お金、仕事、人間関係——そのどれもが、誰かの人生の小さな分岐点だった。
でも、今夜のこれは、違う。
これは、もっと大きな何かの、前夜だ。
社会に出る前夜。
大人になる前夜。
そして——真実にたどり着く、前夜。
「……行くか」
俺のつぶやきに、答える者はいなかった。ただ、夜風が、窓の隙間から静かに吹き込んでいた。

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

