【第36話】コーキ探偵、バロールの輪郭に触れる

第36話アイキャッチ:バロールの輪郭に触れるコーキとミサキ ストーリー

※この話はシリーズ本編のストーリーを中心に構成しています。登場する人物・団体・会社名・学校名・地名等はすべて創作上のものです。実在の人物・団体・地域とは関係ありません。

■ 鍵のかかった箱

一月の終わり。夜の事務所に、ミサキは大きな紙袋を抱えてやってきた。

いつもの自撮り棒はない。カメラも回していない。ここ数ヶ月、依頼人として来るときのミサキは、YouTuberの顔を置いてくる。

「……見つけたの。実家の物置の、一番奥」

紙袋から出てきたのは、古い金属製の箱だった。小さな南京錠がかかっていたらしく、壊した跡がある。

「父の字で『資料』って書いてある。家族も存在を知らなかった。中身は——」

ミサキは、箱の蓋を開けた。

古い取材ノートが3冊。写真の束。そして、地図が1枚。

「父さんが追ってたものの、続きがあった」

鍵の壊れた古い金属の箱を持ってきたミサキ

■ 取材ノート

サトル。ミサキの父。ジャーナリスト。俺たちが高校一年だった秋に消息を絶った男。

ノートの日付は、失踪の2年ほど前から始まっていた。几帳面な細かい字が、後半になるにつれて乱れていく。

俺は、依頼を受けてから数ヶ月かけて集めた自分のメモと、ノートを突き合わせていった。サトルの当時の同僚への聞き込み。過去の記事の傾向。ハルカから預かった、彼女の父・アキラの手帳の内容——正確には、ハルカの頭の中に写真のように残っている、手帳の記憶。

一致する単語が、いくつも出てきた。

まず、こう書かれたページがあった。

『バロールは個人名ではない。役職名だ』

「……役職?」

隣からノートを覗き込んでいたミサキが、眉を寄せた。

「組織のトップの称号、みたいな意味だと思う。つまり——『バロール』と呼ばれる誰かが消えても、組織は消えない。次のバロールが立つだけだ」

そして、次のページ。ここからが、今夜の核心だった。

『組織は六つの部門に分かれている。内部では”眼”と呼ばれる。緑、灰、黒、赤、青——そして、星』

グリーン・アイ。グレイ・アイ。ブラック・アイ。レッド・アイ。ブルー・アイ。スター・アイズ。

ノートの余白に、サトルは六つの円を描いていた。円はゆるやかに重なり合い、中心にひとつの空白を作っている。その空白に、小さく「B」とだけ書かれていた。

サトルの取材ノートを読み込むコーキとミサキ

■ 潜入者

3冊目のノートで、決定的なことがわかった。

サトルは、バロールを外から追っていたんじゃない。

中に、入っていた。

『協力者として接触に成功。末端の活動から参加する』——失踪の半年前の日付で、そう書かれていた。以降の記述は、暗号めいた短い単語ばかりになる。取材者としての慎重さか、あるいは、見られることを警戒したのか。

「潜入取材……」

ミサキの声が揺れた。

「じゃあ、父さんは。捕まって消されたんじゃなくて。自分から、中に」

「断定はできない。だが、少なくとも失踪の直前まで、サトルさんは自分の意志で動いてた。字が乱れている理由も決めつけられない。ただ、俺には、何かを急いで書き留めたようにも見える」

その「何か」は、ノートの最後のページに書かれていた。判読できる、最後の書き込み。

『「怪盗バロール」と名乗る何者かが現れた。組織の内部が揺れている。外の人間か、それとも——』

文は、そこで途切れている。

「怪盗……バロール?」

「称号のバロールとは、別の誰かだ。組織の名を勝手に使って、組織を引っかき回している存在——そう読める。現れた時期は、サトルさんが消えたのとほぼ同じ、俺たちが高校一年だった秋だ」

偶然にしては、できすぎている。サトルさんは、この「怪盗」の正体を追っていたのか。それとも——追われていたのか。

ミサキは、しばらくノートの字をじっと見つめていた。父親の字を、指でなぞるように。

「……うん。父さんの字だ。締め切り前になると、いっつもこんな字になるの」

笑おうとして、失敗していた。俺は見なかったことにした。

父の字を指でなぞるミサキ

■ 地図

最後に、箱の底から出てきた地図を広げた。

古い都市計画図だった。ただ、おかしな点がひとつある。地名の欄が、刃物で丁寧に切り取られていた。どこの町の地図なのか、文字からは一切わからない。

「地名だけ、ない」ミサキが眉を寄せた。「お父さん、どうしてこんなこと……」

「場所を特定されないためかもしれないな。地図そのものは資料として手元に置きたい。だが、どこの町かだけは、知られるわけにいかなかった」

ある区画が、色鉛筆で丁寧に塗り分けられている。緑、灰、黒、赤、青。……六つ目の「星」だけが、どこにも塗られていない。

俺は、その塗り分けよりも先に、道の形を追っていた。

蛇行しながら町を二分する川。その北側の、ゆるやかな丘。丘の中腹にある学校らしき敷地。駅前から延びる商店街の、少しだけ折れ曲がった目抜き通り——。

心臓の音が、大きくなった。

この道を、俺は毎日歩いている。

「……ミサキ。この地図、地名は消されてるが」

俺は、丘の中腹の一点を指した。

「ここに学校がある。目抜き通りはここで折れて、駅はここだ。——東雲学院と、うちの事務所の場所だ」

ミサキが地図に顔を近づけた。数秒の沈黙のあと、息を呑む音がした。

「……うそ。ほんとだ。この通り、事務所の前の……」

ゆらぎ町だ。

地名を消しても、町の形までは消せない。これは、俺たちが今この瞬間に立っている、この町の古い地図だった。

「じゃあ、組織の六つの『眼』は……この町に、あるってこと……?」

「ああ。……少なくとも、この地図を作った人間は、そう考えてた」

遠くの謎を追いかけているつもりだった。だがその謎は、最初から足元にあった。

ミサキが、大きく目を見開いたまま、俺を見た。

そのまま、何か言いかけて——やめた。代わりに、まったく別のことを、ぽつりと言った。

「……ねえ。前に『東雲学院、同じだった』って言ったけど。私たち、それだけじゃなくて——もっと近くにいたこと、なかった?」

「は?」

「ううん。なんでもない。忘れて」

ミサキは首を振って、地図に視線を戻した。俺には、その横顔の意味がわからなかった。同じ高校だったことは、もう知っている。だが今の言い方は、まるでそれ以上の何かを——たとえば、同じ教室で机を並べていたことを、確かめるような響きだった。

地図がゆらぎ町だと気づき衝撃を受けるコーキとミサキ

■ 沈黙の作法

「ケイイチロウさん」

奥の机に、俺は声をかけた。今夜のケイイチロウは、一度もこちらに来ていない。ノートにも、地図にも、目を向けようとしない。それ自体が、もう答えのようなものだった。

「『バロール』を——称号のバロールと、六つの眼と、それから『怪盗バロール』を。あなたは、どこまで知ってるんですか」

湯呑みに伸びかけたケイイチロウの手が、一瞬だけ止まった。

ほんの一瞬だ。だが、俺はその一瞬を見逃さなかった。「怪盗」という言葉のところで、この人の時間が確かに止まった。

長い沈黙があった。

やがてケイイチロウは、書類から顔を上げずに、静かに言った。

「……そこまで、辿り着いたか」

「知ってるんですね」

「コーキ。ひとつだけ言っておく」

ケイイチロウは、初めてこちらを向いた。その目は、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。

「お前たちが見つけた六つの眼は、輪郭だ。輪郭は、中身を保証しない。外から見た形と、中にあるものが、まるで違うことがある——それだけは、覚えておけ」

「どういう意味ですか」

「いずれわかる。今夜は、ここまでにしておけ」

「……怪盗バロールについては?」

「——それも、いずれだ」

いつもと同じ、静かな声だった。ただ、その返事だけ、ほんの少しだけ早かった。

それ以上は、何を聞いても答えなかった。この人の沈黙には作法がある。長い付き合いでわかっていた。これは「言えない」の沈黙じゃない。「まだ言えない」の沈黙だ。

バロールについて問われ沈黙するケイイチロウ

■ エピローグ:輪郭

ミサキが帰ったあと、俺は一人で、ホワイトボードに今夜わかったことを書き出した。

・バロールは個人名ではなく、組織トップの「称号」
・組織は六つの部門——六つの「眼」を持つ
・サトルさんは外部の取材者ではなく、内部への潜入者だった
・サトルさんが最後に追っていたのは、称号とは別の——「怪盗バロール」を名乗る何者か
・サトルさんが地名を消してまで隠し持っていた地図は——この町、ゆらぎ町のものだった
・俺たちが暮らすゆらぎ町と、組織には接点がある

ハルカの父、アキラさんの手帳にあったという言葉を、最後に書き足した。

『組織は町を作っている』

町を、作っている。

破壊でも、支配でもなく、「作っている」。悪の組織の動詞にしては、ずいぶん奇妙だ。ケイイチロウの言葉が、頭の中で反響する。外から見た形と、中にあるものが、まるで違うことがある——。

棚の上で、ルリが起き上がった。ホワイトボードを見て、それから俺を見て、一声だけ鳴いた。

「……ああ。まだ、輪郭だけだ」

でも、輪郭が見えたということは、中心がどこにあるかも、いずれわかるということだ。

窓の外、冬の星が出ていた。

六つの眼のうち、最後のひとつは「星」。地図の上で、唯一塗られていなかった色。

その意味を知る夜は、たぶん、まだ先だ。

ホワイトボードとルリ、冬の星空のエピローグ

この話は、シリーズ本編の謎(バロール)が大きく動くストーリー回です。初めて読む方は、以下の話を先に読むと流れがつながります。

🔗 これまでのバロール関連回

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