※この話はシリーズ本編のストーリーを中心に構成しています。登場する人物・団体・会社名・学校名・地名等はすべて創作上のものです。実在の人物・団体・地域とは関係ありません。
■ 帰ってこない依頼
十月も半ばを過ぎた夜、ミサキが事務所に来た。
自撮り棒もカメラもない。それだけで、今日が「依頼」ではなく別の何かだと分かった。
「コーキくん、ちょっと時間ある?」
いつもの明るい声のトーンだったが、目の奥だけが違った。ずっと前、この事務所で初めて涙を見せたあの日と、同じ目だった。
「コーキくんに、報告があって」
「依頼の件か」
正式に引き受けてから、ずっと動いていた案件だった。サトルの足取りは、簡単には尻尾を出さなかったが、俺にも俺なりの進め方があった。

■ 見つけたもの
「まず、こっちの話を聞いてくれ」
コーキは、机の引き出しから調査ノートを取り出した。ゆらぎ町の不動産登記、サトルが記者時代に使っていた出張精算の控え、そして——サトルの資料箱に残っていた、海外送金依頼書の控え。失踪直前に組まれた、小さな送金だった。
「額は大したことない。受取人の欄は、かすれて読めなかった。だが、宛先の銀行コードは残っていた。そこから、送金先の国まではたどれた。金は確かに、国外へ流れていた」
ミサキが、息を呑んだ。
「私の方も、進展があって」
彼女はバッグから、古い紙片のコピーを取り出した。
「サトルさんの箱、まだ読み切れてないページがあったの。地図の裏、ノートの綴じ目の奥。何度も見返してたら、先週やっと気づいて。父の、昔の記者仲間の連絡先リストの隅に、書き込みがあった。国名も、場所も書いてない。でも、連絡先リストの電話番号の国番号が、コーキくんの言った国と同じだったの。それと——父の字で、こう」
紙には、短く一行だけ。
《六月、向こうで会えた。元気だ。心配するな》
日付は、サトルが失踪する直前だった。コーキが辿った送金記録の時期と、ほぼ重なっていた。
「これ、誰かに宛てて書きかけて、出さなかった手紙みたい。……たぶん、私に」
「『会えた』相手が誰なのかは、書いてないな」
「うん。でも、父が自分で選んで向こうへ行ったことだけは分かる」
「俺が追ってた金の流れと、お前が見つけた書き置き。時期が、合ってる」
二つの糸が、ようやく一本に繋がった瞬間だった。
「行くのか」
「行く」
迷いのない声だった。

■ 一人で行くと言う女
「危険だとわかってるのか」
「わかってる。でも、待ってるだけじゃ何も変わらない。父は自分の意思で向こうへ行った。だから、きっと今も向こうにいる。それだけで、もう十分な理由になる」
「一人でか」
「一人で。……コーキくんやレイジくんを巻き込みたくない。これは、私の家族の話だから」
コーキは反論しようとして、やめた。ミサキの目に、止められる隙間はなかった。
「ハルカにも、まだ言ってない。アキラさんのことも、もしかしたら、繋がってるかもしれないから」
「戻ってきたら、全部話せ」
「うん。約束する」

■ ケイイチロウの沈黙
奥からケイイチロウが出てきて、ミサキの手にある紙片に目をやった。
何も言わなかった。
だが、その沈黙は、いつもの「多くを語らない」とは、明らかに質が違っていた。長い時間、何かを飲み込んでいるような沈黙だった。
「所長?」
「……いや」
ケイイチロウは一度だけ目を伏せ、それから静かに言った。
「無事に、戻ってこい。それだけだ。」
短い言葉の中に、コーキがまだ知らない何かが揺れているのを、感じた。

■ 見送り
数日後、ミサキは小さなキャリーケース一つで空港に向かった。見送りは、コーキだけだった。
「YouTubeは?」
「しばらく休む。理由は、『ちょっと家族のことで』とだけ言っておく」
「戻ってきたら、また『ちゃんとした依頼』を持ってくるのか」
ミサキは、少しだけいつもの調子で笑った。
「うん。今度こそ、ちゃんとした依頼。……コーキくん、ありがとうね。同じ高校だったって分かったときから、ずっと」
「何のことだ」
「知らなくていい。今は」
その一言に、コーキ本人には気づかせないまま、何かが静かに閉じた。
ミサキは背を向け、搭乗口の向こうへ歩いていった。振り返らなかった。

■ エピローグ:それから
事務所に戻ると、ルリがいつもの窓辺で丸くなっていた。ミサキの椅子だけが、やけに空席に見えた。
(父を待つ側だった人間が、自ら探す側に回った。答えの出ない問いを抱えながら、それでも俺たちの日常は続いていく)
ケイイチロウは、あの夜以来、何も語っていない。だが時折、遠い目で窓の外を見ていることがある。
俺たちにできることは、変わらない。今日も、誰かが事務所のドアを叩く。悩みを抱えた誰かが、答えを探しにやってくる。
ミサキの分の答えは、彼女自身が見つけて帰ってくるまで、ここで待つしかない。

この話は、実用解説よりもシリーズ本編のストーリーを中心にした区切り回です。ミサキと父・サトルをめぐるバロール編は、ここでひとつの節目を迎えます。
🔗 この話の前後・関連
- 前の話:第47話「サクラとヒロ、入籍した話」
- バロール編の始まり:第36話「バロールの手がかり」